読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

脱力で生きていくためのブログ

「社会人だけど悠々自適に暮らしたい。」そんな生活を模索していきます。

松本雄吉氏が亡くなって、初めての維新派。

2016年6月18日に劇団維新派を主宰していた松本雄吉氏がお亡くなりになった。

 

亡くなられる前年からは、劇団維新派の作品だけではなく、「Portal」や「レミング」といった作品の監督を務められており、精力的に活動をされていた。

 

そんな中、突然の訃報であった。

 

以下のブログを読む限り、松本雄吉氏のがんが発覚したのが2015年秋ごろみたいである。

 

つまり、2015年秋以降に上映された「Portal」や「レミング」の監督を務められている時には、松本雄吉氏はすでに闘病生活を送られていたことになる。

 

ishinha.com

 

私は、昨年2015年に「トワイライト」(2015年維新派)や「Portal」といった作品を観覧したのだが、どちらも松本雄吉氏の世界観が作中に散りばめられており、非常に素晴らしい作品であった。

 

残り少ない命の中、素晴らしい2つの作品を世に送り続けた松本雄吉氏の劇に賭ける思いに感服である。

 

 

松本雄吉氏が亡くなる前には、維新派以外の作品に関わることが多かったみたいではあるが、やはり松本雄吉氏の世界観をもっとも反映させているのは劇団維新派の作品であることは間違いないであろう。

 

内藤和久さんの音楽に合わせたコンテンポラリーダンス。

見る人を魅了する不思議な空気感。

終わりが来ないストーリー性。

 

劇団維新派の魅力を字面にするとよく分からないが、ただ一つ言えることは人を虜にするということである。

 

そんな劇団維新派が松本雄吉氏が亡くなって初めての公演を迎えることになる。

 

2016年の公演自体は、松本雄吉氏が亡くなる前から決まっていたみたいなので、脚本等は松本雄吉氏さんが手掛けられていると思う。

 

そうなると、2016年「アマハラ」は、松本雄吉氏の遺作になる可能性の高い。

 

「アマハラ」からは、監督を務められていた松本雄吉氏が居ない中での作品になる。どういった形で劇を作り上げられるのかは分からないが、維新派の劇に変化が生じる可能性は十分にあると思う。

 

今後、劇団維新派がどのように変遷していくのか?

 

そういった意味でも、松本雄吉氏が亡くなった後、初めての維新派がどのように変化しているのかを非常に楽しみである。

 

維新派 2016年公演『アマハラ』:奈良 平城宮跡

culturecity-nara.com

 

 

以上

 

維新派 トワイライト [DVD]

維新派 トワイライト [DVD]

 

 

 

リオ五輪閉会式で流れた君が代のアレンジは三宅純さん!?

2016年リオ五輪が閉幕した。

 

次の五輪は、2020年に東京で行われる。

そのため、リオ五輪の閉会式では東京プレゼンツのショーの時間が与えられた。

 

www.youtube.com

 

今回のショーのように、世界に自国の文化や技術を発信する際の日本のプレゼンにはあんまり期待していなかったのですが、SNSを見ると「君が代」が素晴らしいとの情報が!!

 

このショーの初めに日本の国歌である「君が代」が流れるのであるが、このアレンジが素晴らしいとSNSで拡散していたのである。

 

で、誰が演出したのか気になったので、ネットを使って今回のプレゼンに関わった音楽家を調べてみた。

 

以下の3人の音楽家が関わっているらしい。

◆椎名林檎さん

◆中田ヤスタカさん

◆三宅純さん

 

そして、その中で「君が代」をアレンジしたのは三宅純さんらしい。

 

三宅純さんは日本ではあまり有名ではないかもしれないが、パリでは市街地の広告を三宅純さん一色にしたことがあるほど、海外では有名な音楽家である。

 

リオ五輪の閉会式の音楽を作成するにあたり、日本を代表する世界的音楽家を選択したという点では非常に良かったと思う。

(ただ、3人の音楽家の関係性や繋がりについては少し疑問である。)

 

 

今回リオ五輪の閉会式では流れた「君が代」の音源はネットで見つからなかったが、万が一、三宅純さんの音楽を聞いて、好きになった人にはとりあえず、この曲をオススメしたい。

 

www.youtube.com

 

 

この音楽は、パルム・ドールも受賞したことのあるヴィム・ヴェンダースが監督を務めた「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」でも使用された音楽である。

 

この音楽の個人的に素晴らしいと思うとところは、同じようなリズムを繰り返すミニマリズムとジャズのような即興的な音楽の融合である。

 

また、この音楽には不協和音が使われていないので、普段このような現代音楽っぽい音楽を聞かない人も苦痛なく聞くことができるのではないだろうか。

 

2020年の東京五輪でも、三宅純さんのようにエンターテイメント性と芸術的な音楽の素養両方を持った人に、音楽の担当をオファーされること期待したい。

 

 

 

Pina

Pina

 

 

ロスト・メモリー・シアター, Act - 1

ロスト・メモリー・シアター, Act - 1

 

 

以上

SMAP解散に思う芸能界という特殊環境

辞めたきゃ辞めればいいじゃんと思ってしまうが、芸能界はそうはいかないらしい。

 

多くの芸能人は、芸能事務所と交わす契約やスポンサーと交わすCM契約などが存在しているため、簡単に所属事務所を変更したり、芸能界を辞めることはできないらしい。

 

所属先と契約を結び、仕事をしているという点で、芸能界と似ている世界にスポーツ界が挙げられると思う。

 

そんなスポーツ界ですら、移籍金もしくは違約金を払えば、所属先から移籍することができる。

 

しかし、芸能人が所属先を辞める際にそんなお金が動くという話は聞いたことはない。

ゴシップ好きの一般人がよく耳にするのは、所属先を辞めた芸能人がテレビなどのメディアに出られないようになり、干されたというものぐらいである。

 

また、スポーツ界と芸能界の違いをもう1つ挙げるとすれば、スポーツ界では自らの所属先と交渉にあたるのは個人ではなく、エージェントと呼ばれる交渉人であるということであろう。

 

この点においては、日本の芸能界が特殊であり、アメリカなどではエージェント制度が一般的みたいである。

 

今回のSMAP解散騒動があり、海外の芸能界がどのような制度になっているのかを調べてみたのだが、アメリカでは芸能事務所というものは存在せず、スポーツ界同様に芸能人にはエージェントが付き、彼らが直接、テレビ局や映画の配給先と交渉するみたいである。

 

つまり、役割は厳密に言えば異なるかもしれないが、日本の芸能事務所の代わりとして、アメリカではエージェントが存在しているのである。

 

日本では芸能人が芸能事務所と縁を切るのは難しいが、アメリカでは芸能人がエージェントと契約を解除することは容易いみたいである。

 

そういった意味において、アメリカでは芸能人とエージェントは対等な立場で仕事をしている。

一方で、日本の芸能界は特殊な環境で、芸能事務所が芸能人よりも絶対的に上の立場になってしまっている。

 

そのため、芸能事務所は、売れた芸能人が独立することや事務所を移籍することに異常に難色を示すのである。

で、所属していた芸能人に辞められそうな事務所は「ここまで育ててやったのに恩を仇で返すのか」みたいなセリフを吐くことになるのである。

 

そんなことをいったら、子供の頃から育てた選手がすぐに海外に移籍するセレッソ大阪なんてキレっぱなしである。

 

本当にあるのかどうか分からないが、そんな風に芸能事務所を辞めた芸能人は最後、「そんな奴を使うなら、うちの事務所の芸能人は使わせない」みたないな圧力がメディアにかけられて、芸能界を干されることになるのである。

 

韓国では東方神起の独立騒動から起こったJYJ法があるように、上記のような事柄は噂ではなく、事実としてあるらしい。

韓国においても日本と同様に芸能人は事務所に所属して、芸能活動を行っている。

ということは、日本においてもあながち芸能事務所の圧力というものは一般的なのかもしれない。

 

もし、SMAPの独立騒動においても圧力みたいなものがあったとしたら、これは由々しき事態であり、明らかに韓国のJYJ法のようなものが日本にも必要とされている証左であろう。

 

そして、芸能事務所が自らの立場を利用した越権行為をしないように、韓国同様に日本の公正取引委員会も芸能界に厳しい視線を向けるべきであろう。

 

 以上

マクドナルドの原点回帰について

Windowsのビル・ゲイツも ゴルフ界一の有名人タイガー・ウッズもマクドナルドが大好きである。

 

そして、恥ずかしながら私もマクドナルドが大好きである。

 

それもジャンキーなマクドナルドが好きで、お洒落感が強いマクドナルドではない。

 

お洒落感が強いマックカフェに行ったこともあるが、田舎のヤンキーがたむろしていて、お洒落が台無しになっていた。。。

 

それだったら、一般的なのマクドナルドに行って、普通の家族連れが賑やかにしている場所で食事をしている方がいくらかましである。

 

ジャンキー感が無くなってからというもの、マクドナルドはいろいろな問題が発生してしまい、売上が下降し続けている。。

 

そんなマクドナルドが遂に原点回帰するらしいという噂を耳にした。

 

https://www.pakutaso.com/assets_c/2015/05/DB88_debumenu15133912-thumb-autox1600-15875.jpg

 

マクドナルドが朝食でもメガ路線に走るらしい。

 

その中のひとつに「朝の必勝コンビ」という安くて旨いジャンキー感が強いセットが売りに出されている。

 

個人的には朝マックじゃなく、朝から普通のマクドナルドの商品を食べたいところではあるが、朝マックがジャンキーになっていくのはマクド好きからは嬉しい。

 

これかも、マクドナルドの原点回帰に期待して、ジャンキー感が強い商品を売り出していって欲しい。。

 

 

以上

SNSで自分の写真は載せないけど、自分の子どもの写真は載せるという暴挙について

 

最近、SNSを見ていて、人の写真をSNSに投稿している人間には4パターンあることに気づいた。

 

以下、気づいた4パターンを列挙すると

 

①自分も他人の写真も載せる。

②自分の写真だけ載せる

③他人の写真だけ載せる。

④誰の写真も載せない。(風景とかは載せる。)

 

そもそもSNSに投稿しないという人間を除くと、以上のようなパターンになると思う。

 

個人的な感覚であるが、①と④のパターンが多くの割合を占めている気がするが、ちらほら②と③のパターンも見かける。

 

②自分の写真だけ載せるというタイプの人を見かけると、どんだけ自分のこと好きやねんとツッコミたくなる。個人的には、この②のタイプの人は、呆れるというより、微笑ましい。

 

③のタイプの人もなんだかんだで結構見かける。友人たちの集まりで自分が写っていない写真を撮ったため、それだけをSNSに投稿する人や自分は写らず、自分の子どもの写真だけをSNSに投稿する人等々、③のタイプは結構見かける。

 

 

前者の自分が写っていない、友人たちの写真は投稿する人はまだ良いとして自分の子どもの写真だけをSNSに投稿する奴らはどの面下げて、投稿してんだと思う。

 

ここで③のタイプが、なぜ自分の顔の写真を載せないかを考えてみると、得てして2つのタイプに分かれると思う。

 

①恥ずかしい

②自分の写真が拡散されるのが嫌

 

まぁ、結局は自分の写真をSNSに投稿したくないということである。

 

それなのに、その自分の投稿したくないという気持ちはどことやらで、他人の写真はSNSに投稿する。

 

友人たちの写真はまだ良いかもしれない。このご時世、写真を撮られるということは、SNSに載せられる可能性があるということは分別がある多くの人間なら、折り紙つきである。

 

そう、問題は自分の子どもの写真だけSNSに投稿するタイプである。

 

子どもは何の分別が無く、意思表示できないにもかかわらず、親に写真を撮られて、その写真をSNSに投稿される。

 

その親は、自分の写真をSNSに載せることを憚っているのにもかかわらず、自分の子どもの写真は容赦なくSNSにさらし続ける。

 

自分の子どもが、おそらく自分と同じような考え方を持つことになろうと考えれば、思想的に自分の子どもが写真をSNSに投稿されることを嫌がる可能性が高くなることは一目瞭然である。

 

決して、子どもの写真をSNSに投稿するなと言っているわけではない。

 

ただ、もう少し子どもの気持ちになってSNSに投稿するべきなのではないかと思うだけである。

 

そして、SNSに写真を投稿するなら、せめて家族が仲睦まじく写っている写真を投稿すべきではないだろうか。

 

 

以上