日本酒を飲みながら、自由を探すプログラマー

プログラマーの雑記になります。書評多し。技術少なし。

ビットコインはどうなるのか?

ビットコインが高沸しているらしい。

それにともない、ビットコイン関連株も上昇しているらしい。

 

GMOしかり、サイバーエージェントしかり。

 

そういえば、なんとなくビットコインの記事を書いた。

 

blog.pitre.jp

 

半年ぐらい前に書いたブログだけど、ビットコインに対する意見は変わらない。

なんだったら、ビットコインにはさらに懐疑的になった。

 

なぜ懐疑的になったかというと、ビットコインの発行量が決まっているということである。

2140年に発行上限に達し、それ以降は発行しないらしい。

 

まぁ、生きていないから気にする必要はないかもしれないが、ビットコインが発行上限に達したときに、需要供給が保てるとは思えない。

 

もしかしたら、ビットコインを基軸通貨にすえる国も現れるかもしれない。

さらに、そういった国が複数現れると、国によってビットコインの価値が異なる可能性がある。

そうなったときに、裕福な国ではビットコインを買い占め、貧乏な国ではビットコインを売り続けるみたいなことが発生する。

貧乏な国はさらに貧乏になる。

とんでもない悪循環である。

 

需要供給が一致するというのは、市場に参加している人がWin-Winの関係になることだと思う。

この図式はどう考えても、搾取である。

富める国は富、貧しい国はさらに貧しく。

 

こういったときに、ビットコインを発行できれば貧しい国ではビットコインを売っても、ビットコインをかんたんに手に入れることができる。

ユーロを発行できていれば、ギリシャがデフォルトに陥らなかったみたいにである。

(リフレ派の思想)

 

2140年にはおそらく生きていないので、どうなってるかがわからないのが残念である。

まぁ、ビットコインだけではなく、お金の概念が変わってる可能性があるが。。

選挙だから、思いついたことをおもむろにつぶやいてみた。

なんとなく、おもむろにつぶやいてみた。

 

 

 

 

 

 

色々つぶやいたが、日本はいい国である。

フォアフット着地で、ランニングを始めてみた。

なぜか淀川マラソンに走ることになりました。

週一でサッカーをしているのですが、週一の運動だけでは心もとない。

というわけで、ランニングを始めることにしました。

 

そんなランニングを始める人にピッタリな本です。 

 

この本の中で薦められていたのが、フォアフット着地です。

フォアフット着地は指の付け根で着地する方法です。

着地の衝撃が少なく、膝への負担が少ないそうです。

 

なるほど。本に影響されやすい私。

すぐにフォアフット着地を取り入れることに。

 

ずっとベタ足で走ってきた私。

走り出した最初はかなりの違和感が。

 

ゆっくり走り出すと、徐々に違和感がなくなります。

案外楽勝じゃんか。

 

しかし、そうこうするうちにふくらはぎから違和感。

ふくらはぎの筋肉が、悲鳴を上げています。

あれ?と思いながら、まぁ我慢できないことはないので、いつもの4kmを走破。

走り終わると、ふくらはぎがパンパンです。

次の日はもちろん、筋肉痛。

 

本には、アキレス腱が痛むようだとフォアフットじゃなくて、つま先で着地していると書いてあるですが、痛むのはふくらはぎです。

走り方が、おかしいわけではないみたいです。

でも、絶対におかしい。

こんなにふくらはぎがパンパンになるのは、おかしい。

 

正解が分からないので、悶々としております。

フォアフット着地を取り入れた初期は、ふくらはぎがパンパンになるものなのか、どうか誰か教えてください!!

 

 


3ヵ月でフルマラソン完走!「スロージョギング」とは?

 

以上

最近、ブログを書けてなかった。

ブロガーの人が、ブログをする上で大事なことは、継続だと言っていた。

なので、去年一年間書き続けてみた。

 

書くことがくせになったから、継続は成功したと思った。

と、思ったのもつかの間、突然の継続終了。

自分でも、ビックリ!である。

 

言い訳は、「忙しく、ブログの優先度が下がったから」。

ブログを書き続けれない人が、よく言いそうな言葉である。

 

一年間ブログを書き続けても、習慣になっていない。

習慣づけることは難しい。

特に大人になってからは、つくづくと感じる。

 

だけど、習慣を取り去ることは、一瞬でできる。

不合理極まりない。

 

ブログ以外にも、ランニングとか断酒とかを習慣づけようと試みたがほとんど失敗に終わっている。

誰か、習慣づける方法を教えて欲しい。

情熱社会に日本に思う。〜夢とか努力とかクソ喰らえである。〜

日本は情熱社会である。

情熱を持つことを強制させられる。

この強制は、5〜6歳からすでに始まる。

強制労働ならぬ、強制情熱である。

 

幼稚園ぐらいから将来の夢を、絵とか文章とかで書かされてきた。

大学時代でようやく無くなったかと思えば、就活中にまた始まった。

将来の自分の姿を思い描いて、会社を決めましょうと。

会社に入っても、同じことが続く。新人研修でも同じことを言われるし、多くの会社が行っている目標面談でも同じことが言われる。

 

そして、最終的にはこう言われるのです。

「なりたい自分(将来の夢)になるために、努力しましょう。」とか、「情熱を持って行きましょう。」とか。

これが、情熱社会である日本の姿である。

 

 

この情熱社会は、まったくもって生きづらい。

 だいたい、夢がない人への配慮がない。

努力したくもないし、現状のままで生きていきたい人は、たくさんいるはずである。

この情熱社会は、そういう人たちに向けて、人間失格の烙印を押しつづけるのである。

 

まるで、努力や夢がないひとは、生きる価値はがないみたいである。

この情熱社会にいる人のほとんどが努力している人かと思いきや、実情は違う。

確固たる夢を持って、努力し続ける人なんで一握りである。

努力したって夢が必ず叶うわけではない。(努力したら、夢が叶うと思っている人のほうが、努力を続けられるのは間違いないと思う。)

だいたい夢が叶うかなんて、確率の問題である。

神様はサイコロを振りつづけているのである。

 

叶うかどうか分からない夢のために、努力するのは個人の自由である。

個人の自由にも関わらず、努力を強制してくるのは明らかなパワハラである。

社会によるパワハラだと僕は思う。

 

努力を強制してくるせいで、情熱社会は過度のプレシャーを生み続ける。

このプレシャーのせいで、努力していてもプレシャーに負ける人も続出している。

情熱社会のさらなる問題は、努力を促しながら、努力をしている人間も平気に殺していくことである。

 

情熱社会→プレシャー社会という構図をぶっ潰さないかぎり、過労の問題や自殺の問題は無くならないと思う。

決して、情熱が悪いといってるわけではない。

言いたいことは、情熱を持たない人もいるということを、社会が認識すべきだということである。

 

とりあえず言いたいことは、「情熱社会=日本はとんでもなく生きづらい」ということである。