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プログラマーの雑記になります。書評多し。技術少なし。

書評:日本語の建築(伊東 豊雄)

建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を授賞された、日本を代表する建築家の伊東豊雄さんの著書です。

コンペがやり直しになった新国立競技場の1目回と2回目の両方に参加されたことでも有名です。

残念ながら、どちらのコンペでも伊東豊雄さんの案は採用されることはありませんでしたが。

 

この本で伊東豊雄さんは、新国立競技場では2回敗れたのではなく、3回敗れたと言われています。

1回目と2回目のコンペの間に、前の国立競技場の改修案を提案されていたみたいです。

結果は、相手にもされなかったみたいですが。

 

「日本語の建築」は、上のような新国立競技場の話からスタートします。

日本らしさを求めて、コンペに挑まれた伊東豊雄さんの考えが分かります。

 

伊東豊雄さんが、日本らしさを追求された始めたのは、いくつかの著書を読むかぎり、3.11東日本大震災からだと思います。

伊東豊雄さんは、3.11東日本大震災の後に、東北で「みんなの家」という集会場を作られます。

「みんなの家」は日本語の建築の最たる例です。

最近では、「みんなの家」のような人が集まる空間にコミュニティなどの外来語を使う傾向があります。

しかし、伊東豊雄さんはあえて「みんなの」という日本語を使用されています。

「みんなの」という言葉を使用した理由について、以下のようにこの本で書かれています。

 

しかし被災地の人々の人間関係は、都会人たちがよく使う「コミュニティ」という言葉では表現しきれません。ましてや「ミニ・メディアテーク」などと言っても、その場所を必要としているお年寄りたちには何のことだかさっぱり伝わらないでしょう。

 

コミュニティという言葉は、確かに田舎などでは不釣合です。

コミュニティという名のついた場所をイメージすると、人と交流しなければならない場所を想像してしまいます。

コミュケーションを強制させられるイメージです。

外国からの言葉を使用すると、どうしても「あるべき姿」ありきのものになります。

 

日本語は、もう少し冗長的です。

ゆらりくらりとしたイメージです。

この本の副題は「空間にひらがなの流動感を生む」ですが、ここに書いてある流動感こそ、ゆらりくらりとしたイメージだと思います。

ゆらりくらりとしたイメージが徐々に日本から失われています。

◯か✕しかないような価値感がゆらりくらりとしたものを潰しています。

 

しかし、伊東豊雄さんはそのような世の中を良しとしないで、日本らしい建築を作ろうと模索されています。

「日本語の建築」には、近年の伊東豊雄さんの取り組みがどのような考えの元で行われたかが書いてあります。

ぜひ、伊東豊雄さんの近年の活動の考えを知りたい方は、「日本語の建築」を手にとってはいかがでしょうか。

 

日本語の建築 (PHP新書)

日本語の建築 (PHP新書)

 

 以上