脱力で生きていくためのブログ

プログラマーの雑記になります。書評多し。技術少なし。

題名に一流やエリートが付いている本や記事が多すぎやしないか?

 

一流やエリートなどが題名に付いている本や記事をたくさん見かけます。 

 

一流の育て方―――ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる

一流の育て方―――ビジネスでも勉強でもズバ抜けて活躍できる子を育てる

 
超一流になるのは才能か努力か?

超一流になるのは才能か努力か?

 

 

みたいな本です。

こういった本が本屋で平積みになっているので、やたらと売れているのだと思います。(もちろん、売れた本に便乗して、キャッチコピー的に一流とかエリートとかの名前を付けているのかもしれませんが。)

 

一流やエリートになるための本が流行っているということは、世の中の多くの人は一流やエリートになりたがっているということなんだろう。

でも、一流か一流じゃないかなんて誰が決めているのだろうか?

評価できるのは自分か他者しかいないので、どちらかということになるのだろう。

 

他者から一流と思われたい場合、「あの人は一流だから」とか、「一流の人はやっぱり違うね」とか言われたいのだろうか?

上のセリフには、どう考えても皮肉や嘲笑があります。

エリートも同じです。

他者からエリートとか一流とか言われたところで、そんなに喜ばしいことではないです。

まぁ、「一流」を「二流」に変えても、皮肉や嘲笑を含んでいるので、そんなに変わらないですが。

育ちや身分を評価する際には、どうしても何かしらネガティブな要素が入ってきます。

ということは、他者からの評価はほとんど意味がないです。

 

他者からの評価に意味がないなら、一流とかエリートとか思われたいのは自分ということになります。

自分のことを一流とかエリートとか思われたいような人こそ、上で挙げたような本を読んでいるに違いないです。

もちろん、そういった本の内容にも参考にすべきところはたくさんあります。

しかし、そういう本を読むとき(私も含め)、自分が参考にすべきところより、自分と似ている箇所ばかりを探しています。

 

下の記事なんて、特徴的です。

toyokeizai.net

 

正直言って、飲み会の振る舞い方なんて気にしなくて良いです。

飲み会に行かなくても、成功する人なんていくらでもいます。

飲み方で、一流とかエリートとかを決めるものではないです。

こんなんことで、人を評価してたら、生きづらくてしょうがないです。

実際にそんな世の中なんで、お金がいらない田舎暮らしを求めている人が続出しているのですが。

 

自分のことをしょうもない本や記事と照らし合わせる暇があったら、自分の楽しみを探した方が懸命です。

そうすると、自分が一流であるとかエリートであるとかを気にしなくていいですから。

一流とかエリートとか書いてある本や記事を受け流すことをオススメします。

 

以上