脱力で生きていくためのブログ

プログラマーの雑記になります。書評多し。技術少なし。

情熱社会に日本に思う。〜夢とか努力とかクソ喰らえである。〜

日本は情熱社会である。

情熱を持つことを強制させられる。

この強制は、5〜6歳からすでに始まる。

強制労働ならぬ、強制情熱である。

 

幼稚園ぐらいから将来の夢を、絵とか文章とかで書かされてきた。

大学時代でようやく無くなったかと思えば、就活中にまた始まった。

将来の自分の姿を思い描いて、会社を決めましょうと。

会社に入っても、同じことが続く。新人研修でも同じことを言われるし、多くの会社が行っている目標面談でも同じことが言われる。

 

そして、最終的にはこう言われるのです。

「なりたい自分(将来の夢)になるために、努力しましょう。」とか、「情熱を持って行きましょう。」とか。

これが、情熱社会である日本の姿である。

 

 

この情熱社会は、まったくもって生きづらい。

 だいたい、夢がない人への配慮がない。

努力したくもないし、現状のままで生きていきたい人は、たくさんいるはずである。

この情熱社会は、そういう人たちに向けて、人間失格の烙印を押しつづけるのである。

 

まるで、努力や夢がないひとは、生きる価値はがないみたいである。

この情熱社会にいる人のほとんどが努力している人かと思いきや、実情は違う。

確固たる夢を持って、努力し続ける人なんで一握りである。

努力したって夢が必ず叶うわけではない。(努力したら、夢が叶うと思っている人のほうが、努力を続けられるのは間違いないと思う。)

だいたい夢が叶うかなんて、確率の問題である。

神様はサイコロを振りつづけているのである。

 

叶うかどうか分からない夢のために、努力するのは個人の自由である。

個人の自由にも関わらず、努力を強制してくるのは明らかなパワハラである。

社会によるパワハラだと僕は思う。

 

努力を強制してくるせいで、情熱社会は過度のプレシャーを生み続ける。

このプレシャーのせいで、努力していてもプレシャーに負ける人も続出している。

情熱社会のさらなる問題は、努力を促しながら、努力をしている人間も平気に殺していくことである。

 

情熱社会→プレシャー社会という構図をぶっ潰さないかぎり、過労の問題や自殺の問題は無くならないと思う。

決して、情熱が悪いといってるわけではない。

言いたいことは、情熱を持たない人もいるということを、社会が認識すべきだということである。

 

とりあえず言いたいことは、「情熱社会=日本はとんでもなく生きづらい」ということである。